熊野九十九王子のうち、五体王子の1つとして重要視された由緒ある往時である。ここで垢離をとり御歌会や御神楽が開かれた。旧社地は明治22年の洪水で流され、その対岸に社祀を移した。明治末には、神社合併が行われたが戦後は各集落に御神体を持ち帰ったため、実質的にもとの滝尻王子に戻っている。境内に橋を供養した宝篋印塔とそれに並んで宝珠の失われた町石笠塔婆と言われる笠当婆がある。(熊野古道中辺路押印帳の説明より)