熊野街道の要所で、明治末期、近野神社に合祀され廃社となり境内にあった杉の大木も伐られ社殿も間もなく老朽し、取り壊された。
建仁元年に近露宿所、御所が近露王子の対岸にあったと記されている。
社地は今もそのまま保存され「近露王子之跡」の碑が残されている。
(熊野古道中辺路押印帳の説明より)