高取城の櫓台の上でお花見(高取城の天守台)

 
高取山(高取城)

壺阪山駅→夢想館→上子島砂防公園→七曲り→一升坂→二の門跡→高取城址→壺阪口門→五百羅漢→壺阪寺→夢創館→壺阪山駅
年月日

2026年4月2日

地域 奈良県高取町
標高 583.6m
天気

曇りのち晴れ

ひとこと

通常の山城歩きを越えたハイキング、桜満開

 

 

歩いたコース  ▲壺阪山駅〜夢創館〜上子島砂防公園〜宗泉寺分岐▼
●はダブルクリックで拡大  


高取町観光案内所『夢創館』


松ノ門


●上子島沢砂防公園の桜


ここから登山道

 

宿泊地、奈良から電車を2回乗り換えて近鉄「壺阪山駅」に10時過ぎに到着。最後に乗り換えた電車は吉野行きということで、電車は満員だった。おそらく今、吉野の桜が満開ですごいことになっているのだろう。

壺阪山駅前でも多くの人がバスを待っていたが(写真下)、ハイキングのようではなさそうだし、最初はどこに行くのだろうかと思っていたが、壺阪城址の帰り道に壺阪寺を通ったらそこが目的地だということがわかった。

まずは、土佐街道を通って、高取町観光案内所『夢創館』に寄り(写真左一番上)(10:30)、地図などをもらって城址に向かう。実際ここでいただいた地図などはすべてネットからダウンロードしたものと同じだった。夢創館の人はこの道をとにかくまっすぐ行けばいいと教えてくれた。トイレあり。

近くに「土佐町の由来」の説明板があり「6世紀の初め頃、大和朝廷の都づくり労役で、故里土佐国を離れこの地に召し出されたものの、任務を終え帰郷するときには朝廷の援助なく帰郷がかなわず、この地に住み着いたところから土佐と名付けられたと思われる」とあった。

交差点を渡ると左側には満開の桜がいっぱい。ここには高取城から移築した松ノ門がある(写真左上から二番目)(11:00)。元は高取城内にあったのが、廃城となって土佐小学校の校門として移築されいたが、火災になって復元したものらしい。この小学校も今は児童公園になっている。

続いて田塩邸、植村家長屋門を過ぎた後は、民家のハナモモやアケビななどの花(写真下)を楽しんだら次の交差点を渡る。古い街並みから里山風景になってきた。

道の脇にはツバキ、シャガ、バイモ、そしてそろそろ満開のサクラが目を楽しませてくれる(写真下)。よく見るとサクラの木にヘクソカズラが巻き付いていてその実がいっぱいぶら下っていた(写真下)。

さらに進むと何もなかった道に突然、桜の園のような場所が現れた(11:20)。これが上子島砂防公園(写真左下から二番目と写真下)。整備された広いこの公園のずっと先の方までほぼ満開の桜で覆われていてまさに絶景。お城に行かないでここでお花見をしたいぐらい。

次第に舗装された道は森の中に入っていった(写真下)(11:35)。道のわきには沢が流れており、湿ったこの環境には、よく見るとネコノメソウがうようよいる(写真下)。

右に行けば宗泉寺に行くところまでやってきた。これまでの舗装道路が、登山道に変わった(写真左一番下)(11:45)。

     
壺阪山駅前 「土佐町」の説明書き アケビの花(ホトケノザ)
交差点を渡って山の方へ ツバキ(バイモ) 桜の木に巻き付いたヘクソカズラの実
上子島沢砂防公園の桜 森の中へ舗装道路が続く ネコノメソウ(種ができている)

 

▲宗泉寺分岐〜猿石〜二の門跡〜国見櫓▼    
   

相変わらずネコノメソウが多い中、ブロックのような壁がマメヅタによって一つの隙間もなくぎっしりと占領されている(写真下マウスオーバー)。他の場所ではマメヅタが自由自在に延びている最中で(写真下)、いずれはこれもぎっしりと占領されるのだろう。

すぐに高取城の大手道登城案内図があり(11:50)、ここからの曲がりくねった道は昔から「七曲り」と呼ばれている、とある(写真下)。ここから山らしく上りが始まる(写真右一番上)。

葉の表面が蛇の鱗に似ていることからついたジャコゲが多く見られるようになった。その上に柄の長いキノコのようなものがたくさん伸びている。これは初めて見たような。後で調べるとジャコゲの胞子体だそうだ(写真下)。

七曲りの後、しばらく歩くと、再び大手道登城案内図が現れ(12:10)、今度は「これから長い直線の上り坂が続くが、この坂は古くから「一升坂」と呼ばれている(写真右上から二番目)。 高取城築城の際に、急坂であるため石材を運ぶ人夫に米一升を加増したことによる」とある。

大手道と明日香村への分岐点に猿石が現れる(写真右下から二番目)(12:20)。実はこの猿石、高取城築城の際、石垣に転用するのに飛鳥から運ばれたという。明日香桧隈の吉備姫王墓の域内にある4体の猿石と同類の石造物だそうだ。結局転用石としては使われなかったようだが、なぜここに置かれたのか。テレビのお城番組でもこれについてゲストの方たちがそれぞれ意見を交わしていた。

この先の二の門跡を通り抜けると、右手に古くて高い石垣を見ながら歩く。ネコノメソウはこの辺にもたくさんいて、今まで花の箇所にばかり注目していて気が付かなかったが、丸い手のひらのような葉っぱがとてもかわいい(写真下)。

途中で積み重ねられた石の上に「本丸まで700m」と書かれていた。二の丸を過ぎたところでまだ本丸までまだ700mもあるとは、ものすごいスケールの大きい山城だ。足元にはいたるところに瓦が落ちている。櫓や門がいっぱいあったのだろう。

右手に国見櫓の道標(写真右一番下)が現れた。道標に従って少し歩いて行くと、北西方向に張り出した場所から展望が開けている(写真下パノラマ)(12:40)。ここからは、「奈良盆地はもとより、気象条件がよければ大阪平野の奥に兵庫県六甲山や滋賀県比叡山まで臨むことができる」とある。今日は遠くが霞んでいるので大阪や兵庫の方までは見えないが、駅から歩いてきた土佐町や大和三山である香具山(かぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)などが見える。

 

 


七曲り

一升坂

猿石

国見櫓へ(長い石垣伝いに歩く)

     
マメヅタアートが美しい(マメヅタぎっしり) 「七曲り」の説明版 ジャコゲの胞子体(オオバイノモトソウ)
森の中を歩く ユキノシタ ネコノメソウのかわいい葉っぱ
国見櫓からの展望

 

 

国見櫓〜高取山山頂〜壺阪寺〜夢創館〜壺阪山駅▼

  


二の丸の石垣とサクラ

高さ12mの天守台

壷阪寺奥の院 五百羅漢

壺阪寺


 

国見櫓の道標に戻って進行方向に向かって歩き始めるとすぐ「矢場門跡」を通り抜け、そして「松ノ門跡」(12:45)(写真下)。これは土佐町を歩いていた時に見た、移築されて復元された門が元はここにあったということだろうか。

松ノ門跡を通って突き当たりに、右に360mで本丸の道標。赤く紅葉?した檜の落葉で覆われた道をしばらく歩くと宇陀門跡。高い石垣に突き当たると左側からぐるりと回ったところに千早門。この千早門の枡形を通って、やっと二の丸、本丸への唯一の入口である「大手門」に到着(写真下)(13:00)。

この後、十三間多聞櫓から二の丸に入ると、立派な石垣とそれにも負けない満開の大きな桜の木に感動(写真左一番上)。十五間多聞櫓から中へ入ると本丸方向に立派な天守台が見える(写真左上から二番目)。本丸に入ってその天守台に上る。

途中で、ぽつぽつとしかいないスミレのなかに距が2つあるスミレを発見。頭の片隅に多距のスミレのことも少しはあったが、なんと天守台の上で見つかるとは。さらにもう一輪見つかった(写真下)。天守台の上に高取山山頂の三角点があった(写真下)(13:15)。

二の丸の新櫓跡・太鼓櫓跡の上で気持ちいい陽だまりのなか、花見をしながらお昼をいただいたら、下山(13:55)。

大手門まで戻ったら今度は、左側の壺阪寺方面に曲がる(14:00)。壺阪口門を通り、八幡口まで下りてきた(14:10)。ここからは車道があるので、ここまで車で来てから(わずか550m)歩いて本丸まで行く人もいるようだ。

一旦車道に出て、八幡神社石段横から壺阪寺方向へ標識に従いひたすら下ると五百羅漢(写真左下から二番目)(14:40)。岩肌に無数の仏様が彫られている。ここは壺阪寺の奥之院で、16世紀末ごろ、高取城築城の際に豊臣家の重臣本田利久が、城の守護のため石工たちに命じて彫らせたという説が有力だそうだ。

さらに下っていくと車道に出た(14:50)。ここからは車道を歩き壺阪寺まで0.5kmと道標に書かれている。車道をだらだらと歩いていると、右手にいきなり、桜の園に仏像や寺院などが点在している極楽のような場所にやってきた(写真左一番下)(14:55)。桜の多さといい、仏像の大きさといい、とても現実からかけ離れたような世界だ。これこそが壺阪寺だった。

このハイキングコースはこのお寺の横から下りていき入場ゲートを横切って、また山道に入っていく(15:10)。沢まで下りていくとトウゴクサバノオの小さな群落があちこちで見られた(写真下)。 その後車道に出て、夢創館経由(16:05)で壺阪山駅まで戻っていった。

     
ネコノメソウ 松ノ門跡(宇陀門跡) 瓦が積まれている
大手門跡(千早門跡)

二距のスミレ

新櫓跡・太鼓櫓台と桜
天守台にある高取山山頂583.6m 大手門から壺阪寺方面へ 八幡口まで下りてきた
車道に合流 トウゴクサバノオ(群落) 古い街並み