2023年3月29日

愛知お城旅行2日目は犬山城。犬山までは、名古屋から特急で約25分。駅から犬山城が見える。

駅からお城までの情緒たっぷりの町並みを散歩するのも楽しい。特に本町通りは城下町のメインストリートで、両側に飲食店やお土産屋が並び、映えのする串グルメなど食べ歩きが楽しめるので、若者にも人気らしく、大勢の人でにぎわっている。メインストリートの突き当りにお城が見える。

天守最上階から廻縁に出ると、360度の見晴らしがよく、木曽川や濃尾平野が見渡せる。遠く名古屋の高層ビルの手前に小牧山城も見える。ただ手すりが腰ぐらいまでしかなく、足元もギシギシなっているのでかなりスリルがあったが、素晴らしい展望に対する感動の方が勝った。

日が沈むころ木曽川沿い桜並木のプロムナードから眺める断崖に立つ犬山城は情緒たっぷりだった。


家康年表(下表の葵紋のある時期に関連するお城)

 

犬山城   目次

450年以上前、1537年に織田信長の叔父にあたる織田信康によって築城された。現存する12天守の中で最古と言われている。国宝5城のひとつ。室町時代の優美な建築様式。
入口のある石垣の中が地下2階で、石垣より上が3層4階。木曽川(全長299km)南岸、標高約80mの城山に築かれた犬山城は背後を断崖に守られた典型的な後堅固の城。
3人の天下人が奪い合ったお城:
1) 1565年、織田家一族の領地争いで、織田信長が城を落とした(家康は伊木山に陣をはった)。
2) 1584年、小牧長久手合戦の際には、豊臣秀吉が船で北側の断崖絶壁側からこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。
3) 関ケ原の戦い直前、犬山城は石田三成陣営の手にあったが、家康軍の圧力に屈し、戦うことなく家康に渡した。
江戸時代には、家康の家臣、成瀬正成が1617年に城主となってからは成瀬家が代々受け継いで明治に至った(最上階には12代にわたる成瀬家の城主の絵が飾ってある)。

 

 

●城下町
●犬山城

●天守閣内部
●最上階からの展望
●木曽川から見たお城

     

 

●城下町   ●印はクリックして拡大

駅に着くと、2階の片隅からお城が小さく見える。駅前の通りを本町交差点まで歩き、右に曲がるとお城までまっすぐ本町通りが伸びている。
通りの両側には若者にも人気のお店がずらりと並んでいる。いろいろ寄ってみるのも楽しそうだが、一番の目的はお城なので、五平餅をいただいたらすぐにお城に向かう。

駅から見える犬山城のズーム

マンホール

→犬山祭りのポスターが張られている。雅びな山車が印象的だ。全く知らなかったが、犬山まつりはユネスコ文化遺産に選ばれている祭りで、3日後の4月1日と2日に行われるようだ。いつか見てみたいものだ。

  犬山まつり 五平餅山田五平餅店

本町通り

帰りの本町通り 進行方向にお城が見えてくる

 

●犬山城   ●印はクリックして拡大 


本丸通りの突き当りがお城。道路を渡って真ん前に神社があり、そこからお城に行けるようなので神社を通ってお城へ。
神社の左側には、国宝「犬山城」の立派な入口があったのに、いくつもある赤い鳥居の中に吸い込まれていった。
帰りは大手道を通って出てきた。

三光稲荷神社から入ったが→ 帰りは大手道を通り犬山城入口から出た

←両側の石垣の上には右側に御成櫓、左側に鉄砲櫓があった。攻める側は両側から攻められると逃げ場がなかった。

→本丸への最後の関門、黒鉄門(くろがねもん)。黒鉄門をくぐるとその向こうに、美しい天守閣。↓

広いまっすくな上り坂   黒鉄門
昨年の桜の季節はまだコロナが終わっていなかったので姫路城に入るのに待ち時間は全くなかったが、今回はいきなり60分待ち。外国人観光客も目立つ。
足元にはスミレがいっぱい。


●天守と桜   ●天守と桜
足元にはスミレがいっぱい 成瀬家の家紋、丸にカタバミ 長い列

←このお城が建てられた当時は、入母屋造りの1階と2階だけだったそうだ。その後、入母屋造屋根の上に望楼をのせた形で古い形式。華頭窓は飾りだけのようだ。→

右側の付櫓は明治24年の濃尾地震で壊れて石垣だけとなっていたが前の姿に復元された。西北側には石垣より突出した石落としの間も。

●東南に付櫓 最上階(手を振る人たち)
北西側の石落としの間 ●真正面からの天守閣 天守閣の東側

 

●天守閣内部   ●印はクリックして拡大 

←→入口は石垣の中の穴蔵地下2階から狭くて急な階段を上る。地下1階お踊り場に出ると90度曲がってまた階段を上る。攻める側にとってはここで勢いをそがれる。
現存天守の階段はやはり階段がすごく急なのでかなり慎重になる。

 

地下の穴蔵から階段を上る

石垣の中の階段を上る

→↓付櫓:この位置は東南の隅の突出部にあたり、攻撃守備用としてつくられた。
北西部の突出部には石落としの間がある。

一階の恐らく北側か西側だと思うが、格子が縦ではなく横になっている窓を発見。これは何を意味するのだろう。


付櫓の内部

付櫓の窓から西側

付櫓の窓から南側 石落としの間から外をみたところ 1階の窓に縦ではなく横格子の窓が!
←天守1階には、他の天守ではあまり見られない畳が敷かれた上段の間がある。この部屋だけ猿頬天井が張られている。
床の間と違い棚があり、格式の高い造り。奥には、城主を守る武士が待機していた武者隠しの間がある。
●1階上段の間   1階武者走り

←2階武具の間:棚には鎧、兜、槍などが置かれていた。槍を操ることができるように高い天井(5m)になっている。

↓2階の窓から、魔除けになる桃の瓦が見られる。亀の甲羅に桃がのっているか、そこまでは確認できなかった。

天井の高い2階武具の間 武具の間の武具を置く棚(太い梁)  

展示:吉祥を表す宝殊を背負った亀 2階の窓から見える桃の瓦 鬼瓦にも桃の魔除け

←3階は唐破風の裏側で、天井がかなり低くなっている。外から見ても唐破風のある3階はかなり低い造りになっているのがよくわかる。ここは入母屋屋根の中にあたる。

→最上階4階には、12代にわたる成瀬家の城主の絵が飾ってある。南北に出入口があり、そこから回り縁に出てぐるりと360度の展望を楽しめる。当時はここから四方を監視していた。

3階は唐破風の間 最上階4階(成瀬家代々の絵)

 

●最上階からの展望   ●印はクリックして拡大


木曽川のある北側は、85mの山の上に石垣5m+天守19mの最上階なので、絶壁側は100m以上の高さになる。廻縁の幅は90cmしかなく、手すりは低く腰ぐらいまでしかない。廻縁には人が途切れることなく出てきて、ぐるりと廻っているが、木製なので歩くたびギシギシいっているようで、こんなに多くの人が歩いて大丈夫なのだろうかと不安になる。風も少し強くて、かなりスリルがある。でもそれにも勝る360度の眺めのすばらしさ。壁の方にすがりながら、展望を楽しんだ。


木でできた廻縁の幅90cm

●天守正面は城下町と濃尾平野

●西側に木曽川と伊木山 ●北側は岐阜県 ●東側

南側西寄りに高層ビルを背景に小牧山城が見える

 

●木曽川から見たお城   ●印はクリックして拡大
東側には木曽川沿いに桜並木のプロムナードがある。振り向くと日が沈みかけた空に断崖絶壁の上に立つ犬山城のシルエットが映る。金色に輝く空と川、そして「夕暮れ富士」と呼ばれる伊木山とともに美しい景色を創り出している。 400年以上も前の戦いに明け暮れていた人たちはこの素晴らし景色に気づいていたのだろうか。
●西側から 東側から

●東側の川沿いからのお城 川の向こうは岐阜県 川沿いを歩く

 

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