2023年2月28日

静岡お城旅行2日目は静岡。修復工事は1月末で終わっていたはずなのに、3月末まで延長で、天守閣には入れない。それどころか近くにも行けない。遠くから眺めると、太鼓櫓と天守閣の間には天をつくように長いクレーンがまだ動いている状態。 日本初木造で再建された天守閣なのに中に入れないのは残念。

でも土佐漆喰で塗ったばかりの天守の外壁はクリーム色になっていて、まだ塗られていないフェンスの白色とのコントラストがおもしろい。今でしか見えない風景だ。

江戸時代の貴族的な外観を持つ天守閣の美しさは「東海の名城」と謳われたそうだが、平成6年に再建された今の掛川城の天守閣も小ぶりだが気品漂う美しい城だ。

掛川城にはもうひとつの顔がある。国内に4箇所しかない現存御殿の1つである二の丸御殿だ。二条城などの御殿と比べるとこじんまりしているが武士の生活が垣間見られる。御殿の中から、美しい天守閣を見ることができるのもめずらしく、4箇所しかない現存御殿のうちここだけだと担当の方が自負されていた。

今回は家康つながりのお城旅だが、掛川城は、今川氏真が籠った掛川城を開城させて徳川家康の領有になった城。
同じく掛川市にある高天神城も武田に奪われた高天神城を家康が奪還するために徹底した高天神城包囲紋作戦を展開し奪い返した城であり、そのときに家康が築いた横須賀城とともに家康つながりの城である。NHK大河ドラマでは3月26日に高天神城の戦いが放送されると地元の方が教えてくれた。楽しみだ。


家康年表(下表の葵紋のある時期に関連するお城)


掛川城   目次

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれる。
1568年、義元の子、氏真が武田氏に追われて掛川城に籠る。
翌年、家康が掛川城を攻めたが籠城戦のあと和睦により開城させて家康の領有となる。
豊臣秀吉の全国平定後、城主・徳川家康を関東へ移すと、掛川城には後の高知城主・山之内一豊が入城する。一豊は城の拡張や整備を行い、天守閣をつくる。
江戸時代は、江戸城を築いた太田道灌の子孫太田氏など譜代大名の居城として栄える。
「安政の大地震」で倒壊したが、1994年に地元民の熱意によって見事によみがえる。

 

●桜と城
●工事中の城、堀など

●天守閣
●二の丸御殿

     

 

●城と桜   ●印はクリックして拡大

お城と桜を一緒に撮りたいところだが、早咲きの桜はまだ花が開き始めたばかり。

マンホールは掛川城と桔梗。桔梗は、幕末まで7代続いた掛川藩主・太田家の家紋でもある。

桜の蕾とお城 「カケガワザクラ」が咲き始めている

明治時代、廃城後に公園となり、桜が植樹された。逆川沿いの早咲き桜はそろそろ開花。濃いピンク色の早咲き桜は2014年に「カゲガワザクラ」の学名がついた。

お城の近くに、大きな日本建築の銀行が↓

●桜とお城 掛川市のマンホール

日本建築の銀行

●天守と太鼓櫓と桜 逆川沿いのカケガワザクラ

 

●工事中の城、堀など   ●印はクリックして拡大


天守閣はまだ工事中。天守閣だけでなく天守曲輪にも入れない状態。日本で初めて木造で復元された天守閣の中を見られないのは残念。

↓左側から太鼓櫓、四足門、そして右側に天守閣。真ん中に長いクレーンが。

工事中 工事概要(天守閣は休館中)
クレーンとお城 ●掛川城 三日月堀と十露盤堀の地図
三日月堀 十露盤堀

 

●天守閣   ●印はクリックして拡大 

木造復元天守は全国に5箇所のみで、さらに全国に4箇所しかない現存御殿が残る。

三層四階、望楼型天守。
唐破風や華頭窓などは絵図などの調査に基づいて忠実に再現されているそうだ。

●天守閣

 

白い華頭窓に軒唐破風と黒い廻縁


 

京都、聚楽亭の白漆喰の外容に、大阪城の天守閣の黒塗り廻縁をならった気品のある城だが、今は土佐漆喰を塗ったばかりでクリーム色の外容になっている。
まだ塗り替えられていない下のフェンスの白色と比べると黄色いことがよくわかる。

石落とし ●クリーム色の天守

太鼓櫓:城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった現存の太鼓櫓は三ノ丸から本丸に移築された。

四足門:正保城絵図を元に復元された。門の内側には、入場者を調べる番所があった。本丸に通じる重要な門。

太鼓門と四足門 四足門と天守閣
山内一豊の家紋・三葉柏(土佐柏) 太田氏の桔梗の紋 葵紋も

 

●二の丸御殿   ●印はクリックして拡大 

江戸時代の中期に太田道灌の子孫が建てた。ここで政務が執り行われていた。
玄関の破風は、破風板が、入母屋破風とは反対に、上方に凸形に反ったものを起り(むくり)破風という、めずらしい破風。
この玄関は城主と家老だけが使用できた式台玄関。

二の丸御殿 起り(むくり)破風と蕪(かぶら)懸魚


●天守と御殿 釘隠しに太田家の家紋が 格子欄間


城主が政務を行っていた建物は7つの棟から成る。部屋は全部で20。
きわめて実務的な建物で、御殿の中は廊下だけでなく、畳の上も歩いて見学できる。

解放感のある御殿から天守閣が見えるのはこの御殿だけだそうだ。

解放感のある御殿 ●御殿から見る天守閣
一番格式の高い部屋・御所院上の間 杉良太郎が兜を寄贈 天井に太田家の桔梗紋と替紋の鏑矢紋



↑床の間と違棚のある格式高い御所院上の間では、儀式や公的行事が行われていた。
→城主と家老以外の一般の武士は脇玄関を使った。
足軽たちは徒目付土間を出入りしていた。

  徒目付土間 脇玄関から御談の間へ
←太田家の家紋・桔梗の鬼瓦


→玄関の手前の右側の石垣:銀杏の葉の形をした古い石垣。
桔梗の鬼   ●銀杏の形の石垣

 

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