2019年4月12日/2023年4月29日

松本城には2019年の桜の時期に訪れたことがある。桜とお城と北アルプスの絶景を写真に納めたかったからで、その時は、お城自体にそれほど興味はなかった。

ところがその後自分にお城ブームがやってきて、にわか知識が少し身に付くと、今度はもう少し松本城を意識して見てみたいと思うようになり、今年のゴールデンウィークに再度訪問。

パンフレットを見ると、なんとあの家康の重臣、石川数正とその嫡男が築城したとある。ええっ!?あの大河ドラマ「どうする?家康」の松重さん、いや数正がこの現存12天守で国宝でもある松本城を築城したということ!?びっくり1!

よく調べるとその前に秀吉に寝返っていたらしい。!その後、小田原攻めの功で信州松本城主に封じられ、今につながる松本城を築き始めたという。あれだけの徳川家の重臣が簡単に寝返るなんて、絶対ありえない!びっくり2!

秀吉に対する強硬派が多かった家康の家臣団のなかで、和議を主張していた数正が孤立してしまっていたのは事実のようだ。しばらくしてタイミングよくNHK 大河ドラマ「どうする?家康」でも数正の出奔が取り上げられていたが、数正は結果的に、戦いを回避して徳川家を守るために出奔したという描き方がされていた。ドラマはフィクションなのでこれもあり。

ただ、歴史番組を見ても歴史の専門家たち全員が、徳川を見限って出奔したのではなく、徳川を守るために出奔したのではという同一の見解で、ひと昔前とは変わってきている。実際のところは謎のようだが、こうであってほしいものだ。

外観は黒漆の下見板のため黒く輝く「黒天守」。光の当たり方によって色が微妙に異なるのがすばらしい。下見板は、基礎には柿渋と炭が塗られていてそれによって腐食を防ぎ、漆塗りで耐水性を高めている。毎年職人が塗り替えることによって壁が守られていると同時に美しさも保たれているそうだ。

千田先生のお城番組で勉強したのだが、「織田信長は、寺社建築で使うことが多かった漆を安土城に塗ったが、これが漆を塗った初の城郭建築だった。信長はその黒漆に金箔を貼ったが、黒漆に金箔は建物を豪華に飾ることができ、天下人の権威の象徴となった。それを引き継いだ秀吉の大阪城もそうだった。松本城も今こそ金箔は見えないが、調査によりお城に金箔が使われていたことがわかっている」

「江戸包囲網のお城の中でも、東日本と西日本、日本海側と太平洋側を結ぶ日本のへそにある松本城が黒いのは天下人の権威を天守にまとわせるためだった。お城が高いのは、遠くからでも見える大きなお城を目指し、峠を超えてやってくる人たちに圧倒的な存在を見せつけるため。このようなお城を築けたのも豊臣政権のバックアップがあってのこと」だそうだ。なるほど。



松本城- 現存12天守のうちの一つ・国宝   目次

輪郭式、梯郭式の平城
大天守は五重六階、望楼型。天守の高さは25m(石垣除く)。ちなみに姫路城は31m、現存天守の中ではそれに次ぐ、大きな天守。重さ約1000トン。
大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の五連棟で、大天守と乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守。
大天守、乾小天守、渡櫓:江戸の家康を監視する城として、豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により、1593〜4年(戦国時代末期)に造られた。甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網の一つの城。
辰巳附櫓と月見櫓江戸時代初期の平和になった時代に松平直政によって建てられた。
戦国期と江戸期という違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一。

 

●門→本丸へ
●お堀と湧き水
●桜とお城
●夜桜会
●瓦など
●天守の中
●松本市街地

     

 

門→本丸   ●印はクリックして拡大 
→外堀を渡って、高麗門をくぐると太鼓門桝形に大きな岩が鏡石として縦に置かれている。玄蕃石(げんばいいし)と言われるこの巨大な鏡石は高さ4m、推定重量約22.5t。
2019年の4月は待ち時間が40分と出ていたが、2023年4月末はコロナの流行もほぼ下火になっていたため、人もかなり多くなっていたが、それほど待たずにすんだ。
 

20190412太鼓門桝形の鏡石

太鼓門桝形内にある狭間


←黒門を入ると桝形になっていて左手に入場券売り場がある。櫓門があるが、通常の桝形とは異なり、正門と同様、正面を向いて立っている→。お堀を渡って攻めてくる敵に、手前の塀と櫓門の2階からも同時に反撃できるようにして厳重な守りが施されていたそうだ。

正門である黒門を入ると   桝形になっていて櫓門が正面にある
櫓門をくぐると本丸になる。その奥に天守群が北アルプスと桜をバックにそびえ立っている。→
真ん中の大天守、右側が乾天守、左側が月見櫓。
鉄砲と弓矢の狭間は天守に115箇所も備えられているそうだ。

黒門の桝形内 本丸に出る

 

お堀と湧き水 - 最強の防御  ●印はクリックして拡大
天守のすぐ下が水堀というお城はあまりないが、松本城はすぐ下が水堀なので、天守の姿がお堀に映るところがすばらしい。
内堀の幅の広いところでは60mもの幅があるという。これは火縄銃の有効射程距離を考慮したため、つまり防御のためだが、結果的に美しい景観になったということだ。
●埋門と埋橋 ●南側  

松本は地下水の宝庫:松本は湧き水の町で、800箇所も井戸があると言われている。北アルプスなどの山々に囲まれた盆地が、その地下に巨大な水ガメをつくりだしている。
平城は防御力を欠くが、その分、地下水を利用した3重の水堀で囲み、敵の侵入を防いだそうだ。水堀が松本城の防衛の要。

●17時頃の夕日で銀色に輝く天守

●2019お堀に映る天守
●お城と北アルプスと白鳥 お堀を優雅に泳ぐ美しい白鳥 騒ぐ白鳥と鷺

千田先生のお城番組から:平城といっても総堀の北東と南西では7mぐらい標高差のあるゆるやかな斜面になっているが、堀の水位を一定に保つために水切土手を作って(全部で5箇所)水位を調整するようにしたということで高度な技術が使われていた。

今は埋め立てられているが、外堀だったところの発掘調査で、とがった杭のかたまりが見つかった。これは堀をわたってくる敵を食い止める仕掛け。秀吉時代の大阪城のお堀にも隙間なく杭が埋められていたそうだ。

高さ3.6mの土手+2.5mの塀、そしてお堀がお城の一番外側、周囲2kmをぐるりと囲んでいた。その土手の一部がまだ見られるところがあるのだが、今回は行けなかったのが残念。

槍ヶ岳の先端が見える    

 

桜とお城   ●印はクリックして拡大 
やはりお城には桜が一番似合う。松本城には、それに北アルプスがプラス。そして運よく青空になったので、すべてが美しく映えて最高!

●北側から桜と お花見をする人たち

桜とお城 ●桜とお城 ●本丸とお城
●お城に桜が降っている!? ●2023.4.29フジとお城 ●2023.4.29ツツジとお城
本丸と天守群

 

夜桜会   ●印はクリックして拡大 
夜は夜桜会が催されていた。月見櫓での雅楽の演奏を聞きながら、ライトアップされた天守を眺めるのはとても優雅な気持ちになる。
黒漆が塗られた下見板張で昼間は黒っぽいイメージのある天守も、夜のライトアップでは白塗りの漆喰部分が明るく反射してまた少し違ったイメージに見える。

●夜の桜と天守 ●夜の桜と天守
松本城はすぐ下のお堀にその姿が映るのもすばらしいところ。もう少し波が立っていなければもっと美しいさかさま天守が見られたのだが。↓

ライトアップされた太鼓門と桜 ●ライトアップされた天守
●夜のお城とお堀 ●夜のお堀に映る天守閣 テレビ局?もやってきていた

 

瓦など  ●印はクリックして拡大 


瓦には、松本藩歴代藩主の家紋が見られる。家紋以外に、本当の鬼がいる鬼瓦はめずらしいのでは。それぞれ表情がユニークで面白い。
家紋では、豊臣家の桐の紋が一番多く見られ、戸田市の家紋、水野氏の家紋も見つけることができたが、石川家の家紋は見つからなかった。

鬼瓦(横向き) 鬼瓦
水野氏の家紋 豊臣家の桐の紋 戸田氏の家紋


菊の紋? 唐破風 屋根の上を歩く猫

←瓦の上に敷かれている瓦は、冬につららなどが落ちて瓦が傷つくのを防ぐために敷いているそうだ。

美しいお城だがとげのある要塞のお城。高度な技術を使って、お堀に地下水を一定の高さで巡らせ、軟弱な地盤に強固な基礎を固めたお城。

瓦を守る瓦   2023野面積みの石垣

←最上階の屋根の瓦がレースのように見えてきれい。

→華頭窓もいくつかあるのだが、黒い下見板に作られているのであまり目立たないのは残念。

屋根のデザインがきれい   黒の下見板に華頭窓

 

天守の中  ●印はクリックして拡大 


←6階建てなのに、5階に見えるのは?
1階、2階を通し柱で1つの構造ユニットとし、次の3階、4階も同じように通し柱で2つ目のユニットを上に重ねている。3階部分は大きな屋根の中に埋め込まれる形になるため、外からは見えない。

石垣はそれほど高くないため、石落としをずらりと並べて堅固にしている。通常天守一階の四隅に設けるが、松本城では天守一階の中央や乾小天守、渡櫓にもある。 また、狭間も黒い下見板だと一見わかりにくいが、どの階にも四方に設けられている(矢狭間60箇所、鉄砲狭間55箇所)。
三階部分  



下見板に華頭窓(内側から)

石落とし(内側)、上は5連の竪格子

ここのみ横格子(外から見るとここ)
三階では柱に大工が手斧で加工したあとが見えるが、天井が高い4階の通し柱は、手斧の後が見えなくて平滑に仕上げられている。4階は3階よりも格式が高く、書院造(住宅風)になっているから。↓

「天守二階の東、南、西側と4階の東と西側は、5本の竪格子をはめた武者窓。
この窓が5連あるいは3連の二階南側と東側は城らしく豪壮な感じを受ける。
外部は丈夫に蝶番のついた突上戸で風雨を防いでいる」

 

突上戸(外から見ると)

 

→三階部分が屋根に覆われていて、窓は全くなく、南側の千鳥破風の木連格子から光が入るだけ。

三階の手斧という道具で加工した柱   千鳥破風の内側(外側)

松本城天守の階段は、「一階から六階までに7か所設けられている。その位置がお互いに離れているばかりでなく、どの階段も勾配が急(55〜61度)で、特に四階から五階へと上る階段は蹴り上げが約40cmありもっとも険しい」とあるが、そのとおり、4階から5階への階段がものすごく急でかなり怖かった。

居室風の四階 六階の天井には神様が祀られている  
六階は地上22.1mあり、東は山辺谷から美ヶ原高原、南は松本市街の中心部と塩尻・木曽方面、西は安曇平がひろがり、その向こうに北アルプス(乗鞍岳、・槍ヶ岳・常念岳・燕岳など)、北は信州大学・国宝開智学校から放光寺・城山方面が一望できる。
●六階から東側本丸方向   ●六階から西側を眺める

 

月見櫓は窓がすべて開けられていてとても開放的。4月12日の夜桜会では、ここで琴、尺八、雅楽などの演奏が行われた。

月見櫓は三代将軍、家光をもてなすために建てられたと言われている。

  月見櫓の中 月見櫓雅楽の演奏

 

松本市街地  ●印はクリックして拡大
松本のシンボルとして親しまれている伝統民芸品「松本てまり」のデザインマンホール蓋。色違いがいくつかあるようだ。
お城のマンホールもあるのかと思い、ネットで探してみたがないようだ。

松本市のマンホール(グレータイプ) 松本城の写真のある自販機
中町通りは、かつて善光寺街道(北国西街道)の宿場として栄えたところ。なまこ壁の土蔵が立ち並び情緒たっぷり。瓦屋根になまこ壁の土蔵は火災から財産を守るための商人たちの知恵だそうだ。
  蔵のある町中町 蔵のある町中町

 

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