2023年2月28〜3月1日 |
静岡お城旅行3日目は静岡。天守はないが、家康がその人生において三度もこの駿府で過ごしているなら、訪れないわけにはいかない。 今川家の人質であった8歳〜19歳の時代の10年間と、大御所時代(慶長期)に10年間、駿府に住んでいたが、それ以外にも、
武田氏に侵攻された駿府を武田氏滅亡後、家康が領有し、近世城郭を築き、豊臣秀吉の命で江戸城に移るまでの壮年期の4年間においても駿府で過ごしている(天正期)。 |
タイムマシンでわざわざ別々の時代に行かなくても、今の時代に野面積みの石垣と切込接の石垣の天守台の両方を同じ場所で見ることができる。 もう一つ楽しみにしていたのは、久能山東照宮。駿府城で没した家康を埋葬するために2代将軍秀忠が造営したもの。この煌びやかな建築は、全国の東照宮建築のひな形となったそうだ。 また、久能山東照宮と富士山を結ぶラインのその先が、家康が神として祀られている日光東照宮につながっているというからすごい。久能山東照宮と日光東照宮が富士山でつながっているということは、常に富士山を意識していた家康が天下人となり、最終的に日本一の富士山と一体化して、日本の頂点に立ったことを表しているのだろうか。 |
家康年表(下表の葵紋のある時期に関連するお城) |
駿府城 | 目次 | |
天正13年(1585年)に徳川家康公が築城を開始。現在の城跡に比べると一回り小さい。このときは、秀吉が家康に命じて築かせたものかもしれないとのこと。建設工事の人手や費用は徳川家が負担したと推測されるそうだ。 |
●県庁から見下ろした駿府城公園 |
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●模型の世界首都、静岡 | ●印はクリックして拡大 | |
静岡市はなんと世界のプラモデルの発祥地.。駅前や街角で、公衆電話やポストのプラモデルを見つけた。 |
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プラモデルの街、静岡 | 模型の世界の首都、静岡 | |
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ポストのプラモデル | 公衆電話のプラモデル | 格子欄間 |
●日本平 | ||
帰りは、日本平ロープウェイに乗って日本平へ。天気は曇りで、真っ青な空にくっきり富士山ということにはならなかったが、それでも距離的には近いので真ん前に大きな大きな富士山が!駿河湾とのコラボは絶景! | ||
駐車場 | ||
テラスの中から |
テラスからの富士山 | 富士山と桜 |
富士山と駿河湾の絶景 |
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