岩殿山(天神山手前からの富士山)

 

岩殿山

駐車場→岩殿山登山口→岩殿山→築坂峠→鎧岩→天神山→稚児落とし→浅利集落→駐車場
年月日 2018年11月24日
地域 山梨県大月市
634m
天気 晴れ
ひとこと

くっきり富士山、岩場・絶壁ありでスリル満点

 

 

   
歩いたコース  ▲駐車場〜岩殿城跡入口〜岩殿山▼
  


岩殿城跡入口


丸山山頂からの富士山


展望所からの富士山(展望所)

岩殿山
戦国時代、武田、小山田両氏の支配を受け、岩殿城として、武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされた。岩殿城は急峻にしてけわしい断崖をめぐらし、攻めにくい守りやすい戦国時代の難攻不落を誇る名城であった。
 

本当は岩殿山公園の駐車場に車を止めたかったが、車は市民会館の方に止めるようにと標識があったので、市民会館に行ったが。時間が早すぎてまだ入れなかった。

結局一般駐車場を探して少し離れたところに止めた。かなりくっきりの大きな富士山が迎えてくれた。今日一日富士山がどのような姿を見せてくれるか楽しみだ。

岩殿城跡入口まで歩き、そこから階段を上がっていく(8:15)。いきなり「災害のため断水中、この先、トイレ・水道は使用できません。」という標識がある。ということはトイレは当分ないということ。

しばらくすると正面に富士山が見えた。これほどくっきり富士山は今まであまり見たことがないくらいだ(写真ではそれほどくっきり写っていないが)。

その後また階段を上ったら、山道を歩いていく。林の中を通り抜けると、使えないトイレがあり、ふれあいの館の所に出る。この辺一帯が丸山公園。左手の階段を上ると「丸山山頂444.4m」とある。ここからの富士山も美しい。関東の富士見百景とある(写真左真ん中)。

ふれあいの館の左側の階段を山の中腹まで上っていくと美しい紅葉の木々の中、違和感のある光景が目に入ってきた。これはツツジで春の花ではないか。それが木全体が隠れるぐらい朱色の花で満開なのだ(写真下)。そういえば最近季節外れの花をよく目にする。

その後、ジグザグ道でくっきり富士山を何度も見ながら高度を上げていく。巨大な自然石を利用して築いた揚城戸跡と呼ばれる第二の関門を通り過ぎ、さらに上るとベンチなどがある広場に出た。

道は右へと続き、馬屋の標識がある場所では「土砂崩れのため通行止め」と張り紙があり、大きく道がえぐれてロープが張られていた。あの台風の影響だろうか(写真下)で。

そのすぐ先が山頂、いや展望所(9:15)。ここからの富士山もすばらしい(写真左下)。広いこの場所には「岩殿山634m」とあるが、その横に小さく「この先」と書かれており、下には「ここは展望所」と書かれている。

実際本当の山頂はここから東屋、馬屋跡を通って10分弱歩いたところにあり、そこには「烽火台634m」という標識だけがひっそりと立っていて展望はなかった(9:30)(写真下)。

    

美しいモミジ 紅葉の中ツツジが満開 トウカエデの紅葉
展望台近くの立ち入り禁止エリア 丸山を見下ろす

揚城戸跡

ダンコウバイの紅葉

リュウノウギクがこの時期に咲いている 岩殿山の山頂

 

▲岩殿山山頂〜築坂峠〜鎧岩〜天神山▼  
  

岩殿山からもと来た道を下り、兜岩・稚児落としの分岐を右に曲がる。「危険、この先は鎖場のあるコースです」とあるが、この時はそれほどでもないと思っていた。

ここから(9:55)急降下してしばらく谷を歩き、岩殿城の入口にあたる「築坂」までやってきた(10:10)。この後上り返して日の当たる稜線に出て富士山と再会。送電線の鉄塔を通り過ぎ、さらにしばらく紅葉の道を歩くと鎖場にやってきた。鎧岩だ(10:20)。

前回の谷川岳の岩を思い出したが、この岩もよく似た感じだったので、これはまだOKだった(写真右上マウスオーバー)。しかし、その後すぐに現れた岩を見てひるんだ(写真右上)。垂直!少し手前の標識にあった鎖コースと林間コースの分岐で、林間コースを選んでおけばよかったと思ったがもう遅い。

足掛けのようなものはところどころにある。登りはじめは足掛けを手でつかんで、くぼみに足をおきながら登り始めたが、途中から手は確保できても足の位置を確保できなくなり、途中で絶望的になった(この時は鎖が見えていなかったみたいだ)。

下には待っている人の列ができており、引き下がるわけにもいかず、このまま上に行くしかない。体中の筋肉を総動員させて力ずくでなんとか上までたどり着いた。

とりあえずほっとしてまた明るい稜線に出て富士山と再会(写真右真ん中マウスオーバー)。富士山には雲がかかり始めている。しばらくすると次の難関、兜岩にやってきた。ところが、「崩落のため進入禁止」とある。まず横方向にトラバースして、そのあとに縦方向の鎖が待ち構えているというこの難関はラッキーなことになくなった(写真右真ん中)、と思ったのもつかの間。

谷間に下りる迂回路は、途中からロープを伝って傾斜を20〜30mぐらい下りるというものだった(写真下)。頭の中で簡単に下りている自分をイメージしたがその通りにはならずこれも苦戦した。

この後は登山道に戻り、登り返して稜線を歩いていくと天神山に到着(10:55)(写真右下マウスオーバー)。普段は行かない遊園地のヒヤヒヤドキドキの乗り物に立て続けに乗った後のような精神状態を元に戻すためにもここでおにぎり休憩。ここからも見える富士山(写真右下)に癒されて歩き再会(11:20)。

 


鎧岩直登の壁(その前の鎖場)



兜岩通行禁止(富士山と再会)



天神山からの富士山(天神山)

     
兜岩・稚児落としの分岐から急降下 稜線歩き 稜線からの富士山

美しい黄葉

兜岩進入禁止 鎖を頼りに下りる

 

  ▲天神山〜稚児落とし〜駐車場▼
  


稚児落とし


稚児落としの絶壁の縁


 

2つ目の送電線の鉄塔を過ぎて少しすると、何やら向こうに大きな崖が見えてきた。これが稚児落としといわれる大絶壁(写真左上)。絶壁の上にいる人たちが米粒いやもっと小さい点ぐらいの大きさに見えることから、この絶壁がとてつもなく大きいことがわかる。

稚児落としは「小山田氏の側室の千鳥姫は織田家の大軍に包囲された岩殿山城から赤子を連れて護衛と共に落ち延びた。その最中、赤子が泣き出したため、護衛は千鳥姫から赤子を取り上げて、岩殿山城の断崖から投げ捨てた」ことからこの名前が付いたらしい。

ここからぐるりと回って5分ほどで、その米粒ぐらいに小さく見える人たちがいたところに着いた。こちら側は木も柵もなく、狭い崖の縁を歩く。ここにいること自体あまり落ち着かないが今度は逆にさっきまでこの絶壁を眺めていた場所が見える(写真下パノラマ)。なんと先ほどいたところまでぐるりと絶壁だった。絶壁のスケールの大きさにビックリ!その向こうに岩殿山がかわいく見える。(写真左下)。

ここからは浅利・大月駅方面に下りる(11:45)。ここでも急降下が多く、まだまだ気を緩めることができない。下りはしばらく続いたあと、民家(一軒)のあるところに下りてきた(12:20)。そこから少し歩いて県道に出て、浅利川沿いに歩き、中央自動車道の下をくぐり、川をわたり、街の中にやってきた。振り返ると、右から岩殿山、鉄塔があって左端の天神山までが見える。稚児落としは奥まっているのでここからは見えない。

そのあともう少し歩いて駐車場に戻ってきた(13:15)。岩殿山へはあっという間のお散歩コースだったが、そのあと縦走路は、岩場あり、鎖あり、絶壁あり、急降下ありでスリルの連続だった。

   

ここにもツツジ

トチノキの黄葉(コナラの紅葉) 紅葉が美しい
木々が根こそぎ倒れている 急降下 岩に紅葉

岩殿山方面の絶壁