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▲茶臼岳頂上に向かう▼ | |||||||||||||||||
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お天気のほうは午後から晴れるという予報ははずれ、厚い雲が空を覆っており、雲の切れ目から時々お日様が顔を出す程度。でもそれよりも厄介なのはガス。ガスが立ち込めては山を隠し、取れたかと思うとまた一部を隠す。美しく紅葉した山々をそう簡単に見せてはくれないのだ。 途中から草もほとんどなくなり、砂上の斜面を岩を避けながら歩く(写真右上)。進行方向右側の朝日岳がガスに隠れてなかなか姿を現してくれないので、左側のなだらかな草紅葉とススキのような白い穂の草原を見下ろす。鮮やかな紅葉もいいが草紅葉のゴールドと、ススキに似た穂のシルバーのコラボもまたすばらしい(写真下)。 次第に斜面には岩が多くなってくる。通りやすく安全なコースの岩には黄色の大きな矢印や丸印が描かれている(写真右中央マウスオーバー)。あっ、今度は右側の山に、ガスの切れ目から鮮やかな紅葉に日が差している(写真右中央)。ガスもなかなか取れないし、お日様もなかなか顔を出してくれない中の、とっても貴重な瞬間。 こうやって、斜面を右方向へ、左方向へと忙しく移動しながら、美しい風景を眺めて写真を撮っていたら、時間がどんどん過ぎていった。那須岳山頂駅から山麓駅に降りる最終ロープウェイの時間は4時24分。だ、だ、だ、だめだ!山頂まで行ったら、最終ロープウェイに乗れないかも。。。 潔く諦めて、少し先の土の色が白く変化しているところ(写真右下)まで行ったら引き返すことに決定。この辺までやってくると、この茶臼岳が今でも噴煙を上げている活火山であることがよくわかる。標識には「有史以後、茶臼岳の火山活動は約7回を数え、中でも室町時代(1410)初めの活動は、イオウを混じえた火山灰を降らせ、激しい爆発を伴って山崩れや泥流を生じて死者180人を出しました。最近の活動は、昭和38年(1963)と比較的新しいものです。」とある。 | |||||||||||||||||
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▲足元の秋と殺生石と鹿の湯と▼ | |||||||||||||||||
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自分の影がどんどん長くなってきた。今日のお日様は十分に顔を見せぬまま、そろそろ横になるつもりのようだ。砂状の土の力を借りて、斜面を滑るように下りて行く。そんなに上まで登っていなかったので、すぐにロープウェイ乗り場まで戻ってきた。 ロープウェイの時間まで、まだ少し時間がある。ふと周囲の草原に目をむけると、かわいいシラタマノキの花が咲いている(写真左上マウスオーバー)。土砂流出防止のため種をまいているのだそうだ。ついつい木々の紅葉に目が行ってしまう季節だが、足元でその存在を主張し続けている小さな野草もいる。夏とは少し異なる演出方法で。。。 葉っぱをきれいなオレンジ色に変えたのはノギラン。これは間違いない、多分。白い花をドライフラワー状態にしたのは、葉っぱからヤマハハコのようだけど確かではない。。。まだ美しい花が咲いているように見えるのはその葉っぱからミヤマセンキョウのようだけど、夏にどんな姿を見せていたのかはわからない。。。(写真左上と写真下) この後、道路を挟んで向こう側にある元湯の「鹿の湯」(写真左下)へ。湯治場として人気のあるこの温泉、開湯されたのは約1300年前。鹿が傷ついた体を温泉で癒していたことからこの名が付いたそうだ。木造の渋い建物で、湯船が温度別に41度から48度ぐらいまである。疾病にはもちろんのこと、女性のお肌にもとってもいいみたいで、つるつるお肌になって帰路に着いた。 帰りに佐野サービスエリアで飲んだコーヒーは、超ハイテク自動販売機から出てきた(写真下)。 | |||||||||||||||||
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