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| 歩いたコース | ▲登山口〜石射太郎山手前▼ | ||||||||||||||||
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| 昨年と同様、今年も1月に千葉の山にやって来た。最近ゆるゆる歩きが続いているので、今回も難易度の低い高宕山を選び、しかも風のない小春日和の日を選び、ゆるい山歩きをするつもりだった。 駐車スペースには土曜日のせいか、すでに道の反対側を含め十台以上の車が止まっていていっぱいなので、100mほど手前の小さな駐車スペースに車を停めて、すぐ近くの通行止めの高宕トンネル手前にある登山口を出発(写真左上)。 いきなり急登で、杉の樹林帯の中を上っていく。所々、木が根こそぎ倒れているところが何箇所もあるが、2019年の台風によるものらしい。樹林帯を抜けてさらに上っていくと苔むした石が並んでいて庭園のような雰囲気を醸し出している(写真下)。 昔の石切り場跡までやって来た(写真左真ん中)。そう、この山は岩山。千葉県では観光で行った鋸山にはスケールの大きい石切り場跡があるし、2010年3月に行った伊予ヶ岳も絶壁の岩山でロープあり鎖場ありだった。この山も例外なく、この後いやというほど岩場が出てくることになる。 このあと広葉樹林帯を抜けると、開けた場所に出た(9:55)。ここが鹿野山分岐で、満開のスイセンの群生があり(写真左下)その中に説明板が2つ。 1つには「石射太郎山は関東大震災で石の切り出場、いわゆる石切丁場なるものが破損するまで明治初期から大正初期にかけて大量の石が切り出された」、そしてもう1つには「高宕山から石射太郎山一帯は野生日本ザル生息地として国の天然記念物に指定されている」と書かれている。 向かい側にサルの「旧餌付け小屋」がある(写真下)。その向こうに少し上ると「富士山、東京湾展望台」。今日は晴れだが暖かくて遠くが霞んでいるので富士山は無理かなと思ったが、かろうじて見えた(写真下)。 家に帰ってきてから気付いたのだが、この後、反対方向のすぐそこにある石射太郎山の山頂に行くのを忘れている。帰りもそのまま寄らずに帰ってきたため結局、石射太郎山山頂には行かずじまい。残念。 | ||||||||||||||||
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| ●はクリックして拡大 | ▲中間地点〜高宕観音〜高宕山山頂▼ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
アップダウンは少ないが、尾根や岩場の変化のある道をひたすら歩いていくと、正面に長い階段が見えた(11:25)。これが高宕観音の入口。まず最初数段の階段を上ると、狛犬と仁王像が現れた(写真左一番上)。 帰りに、あの根っこに突っ張り棒を立てた男性が、仁王像の頭の一部や体の一部が欠けているが、これは昔博打をやる人が勝つためにこの像のかけらを持っていったと教えてくれた。また、よく見ると仁王像は廻しをつけている(写真左上マウスオーバー)のでお相撲さんだと言っていた。 引き続き石の階段を上っていくと左側に仏塔があって、その上を大きな岩が覆っているが、その岩が侵食してできたアートのように見える(写真下)。 さらに石段を上っていくと、大きな岩にへばりついているような観音堂が現れた(11:30)(写真一番上)。岩と合体したといった方がいいかもしれない。 説明書きには「高宕観音の由来は、伝説によれば、奈良時代に行基菩薩が当山を訪れた際、多くの人々の御利益を施そうとして彫刻した霊像と言われている」とある。ここからの眺望もすばらしい。 進行方向には岩をくりぬいた穴がある(写真左上から二番目)が、高宕山に行くにはこの穴を潜っていくようだ。穴を出ると、道標どおり右へ(11:35)。後で知ったのだが、ここを左に行くと観音堂に覆いかぶさったような大きな岩の上に上ることができるようだ。 ロープ付きの大きな岩(写真左下から二番目)や、ほぼ垂直な梯子を上ったりしたあと最後の岩の上の梯子(写真下)を上ると山頂に出た(写真左一番下)(11:55)。山頂は5、6人でいっぱいになりそうなぐらい狭い。しかし、展望はほぼ360度で抜群。幾層にも波のように重なる山々の眺望はすばらしい(パノラマ写真下)。富士山は肉眼でまだなんとかうっすら見える。 眺望を楽しんだら、とりあえず山頂の岩を下りたところにあるベンチで簡単なお昼を済ませたあと、元来た道を下山(12:05)。 行きは、岩、梯子、鎖など次に何が出てくるかわからないアスレチックのような歩きでドキドキものだったが、下山はすべてすでに体験しているためか、意外とスムーズに歩くことができ、登山口には14時に戻ってきた。 最初はゆるゆる歩きのつもりだったが完全に裏切られ、歩きごたえのある山だった。後で知ったのだが、高宕山は全国区の知名度こそないが、房総の隠れた名山として知る人ぞ知る存在だそうで納得。その後、大多喜城の近く(写真下)を経由して帰っていった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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